京都あすなろ教室

山本 渉登

同志社大学社会学部教育文化学科在籍・私立京都両洋高校出身


こんにちは、京都あすなろ教室で講師をさせていただくことになりました、山本渉登(やまもと あゆと)と言います。
僕は中学生の頃は不登校児であり、この教室の元生徒でもあります。
今これを読んでいるあなたと同じ悩みを抱えていたのです。
これからお話しするのは、当時の僕の気持ちや様子、そしてどのように不登校から立ち直ったか、についてです。

僕は中学2年から学校へ行かなくなりました。
不登校のはじまりは「学校に行くのが面倒くさいな」という思いです。
往時の僕は勉強が苦手でした。苦手だから、当然、勉強が嫌いでした。家でやるゲームの方がずっと楽しかったんです。
母への罪悪感、自分への嫌悪感はありました。でも、「学校に行かない生活は楽だな」と感じてしまっていた自分がいたことを否定しません。
そうやって、だらだらとゲームばかりする生活を送っていました。進路などについて真剣に考えることもなかったです。正確に言えば、「考えることから逃げて」いました。

しかし、3年生になると、周囲の同級生や家族が受験の話を持ち出してきます。否応なく自分も受験を意識して、少しずつ不安と焦燥を抱えるようになりました。
ですが、学校に行くのは面倒くさいし、行ったところで勉強には付いていけないし、もうこの不安を解消する方法なんてないと思い、更に気分は落ち込んでいきました。思えば、この頃が「どん底」かも知れません。

そんな僕を心配して、母はこの京都あすなろ教室に僕を連れて行きました。中学三年の夏休みのことです。
最初に塾長と会いました。説教でもされるのかと思っていたら、そんなことはまったくなくて、「大丈夫だから。どうにでもなるから心配しなくていい」というようなことを言われたのを覚えています。
そしてこの教室の講師の方々(みんな現役の京大生でしたが、当時の僕は京都大学のレベルもイマイチわかっていないような中学生でした)に勉強を教わりました。

秋頃には何度も授業を休んだりもしました。が、なんとかやめずに塾通いを続けていくうちに、少しずつ勉強がわかるようになってきました。そうなると、これまた少しずつですが、自信のようなものが芽生えるようになりました。
「高校からやり直そう」
と本気で思えた結果、勉強にも真剣に打ち込めるようになりました。
そして僕はある私立高校の特進コースに合格しました。

高校生活は、初めは不安だらけでした。
が、よい仲間、尊敬する先生たちに恵まれました。「人との出会いが人生を創っていくんだな」と今にしてみれば思います。とても充実した高校生活を送ることができました。

……以上が、僕の昔話になります。
少しでも共感してもらえる部分はあったでしょうか?
何事も少しずつの積み重ねからできているのだと思います。
「小さなマイナス」を積み重ねた結果、大きなマイナス(長期間の不登校生活)になりました。
京都あすなろ教室の講師の皆さんに勉強のやり方を教わったことで、高校生活では「小さな努力」をスムーズに積み重ねることができたように思います。その結果、「大きな喜び」、つまり同志社大学に現役で合格することが叶ったというわけです。

最後に、不登校児のみなさんに一言だけ言わせてください。
小さな不安が積み重なれば、大きく心は落ち込みます。
逆に(小さくても)自信が積み重なれば、心はどんどん明るくなっていきます。
この京都あすなろ教室で僕たちと勉強をしながら、少しずつ君の不安を取り除いて、少しずつ君の心に自信を取り戻していきましょう。
そして、君に合った新しい生活をスタートさせるきっかけを一緒に見つけましょう。

不登校の渦中にいると、苦しいことがいっぱいです。周囲の視線も厳しくて、それもまたつらい。自業自得とわかっていても、誰かに当たり散らしたくもなる。僕も母や妹には迷惑をかけ通しでした。
でも、不登校をなんとか抜け出て、そのあと高校生活を送り、大学生になってみて思うことがひとつあります。
「不登校は僕の財産だ。なぜなら、あの体験のおかげで、僕は人の痛みがわかる人間になれたんだ」
そう思うからです。

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