京都あすなろ教室

武田 虹羽

京都精華大学芸術学部在籍・京都市立日吉ヶ丘高校出身

みなさん、はじめまして。京都あすなろ教室で講師を務めている武田虹羽(たけだにじは)と申します。
私は、小学生の美術を担当しています。

唐突ですが、「美術」とは、いったい何でしょうか。
私が考える美術、アートとは、「言葉で表現できない、心の奥の方にある大切な思いを表すもの」に他なりません。
自分が今何に対して興味を持っているのか、今どんな思いや感情を抱いているのかを目の前の相手(あるいは、この世界全体)に知らせるためのコミュニケーションツールです。
思想や感情を作品にぶつけることで知らず知らず心に溜まっていた「負の何か」を吐き出してスッキリできたり、作品を通して自分という人間を客観的に眺めることでさらに深く真っ直ぐな自己理解へと繋げることも叶います。

何かを表現したい時、人は無意識のうちに頭の中でイメージを浮かべます。その行為の積み重ねは集中力と創造力を豊かにします。
(作品に使う)様々な素材に触れることにより、好奇心が掻き立てられます。絵の具や粘土、いろんな素材を使い自分自身を自由に表現をすることで 「本来の自分」を知る手がかりが掴めます。それが(他者から与えられた正体の怪しい承認ではなく)本当の自己承認、自信へと繋がっていくこともあります。
アートは多くの可能性を秘めています。
長々と独りよがりな思いを綴ってしまいましたが、私は美術を通してこどもたちに、
「ここにいていいんだよ」
という気持ちを伝えたいです。こどもたちが、安らかで、自然で、ほんのりと楽しい気持ちを抱くお手伝いがしたい。実は、それだけです。
何かに怯えたり不安がったりする必要はありません。
こどもは、ただ「ここにいる」ということだけでいいんだ、と私は考えています。まだ大学一回生の私には、この世界はわからないことだらけです。でも、「学校へ行っていないからという理由で卑屈になったり自分を嫌いになったりする必要はない」ということくらいは、わかります。
極端なことを言えば、私があすなろ教室で出会うこどもたちにいちばん与えたいのは「今、ここにいることの楽しさ」に気づくきっかけです。そして、もうひとつは「美術の楽しさ」。このふたつをこどもに与えることが出来た時、「あぁ、このバイトをやってよかったな」と私は噛みしめられるのかも知れません。

自分が小学生の頃の話をします。
私は児童館にいる時限定で嫌がらせを受けたことがありました。学校にいる間は何もされません。自分に嫌がらせをしてくる相手に原因を問いたかったのですが、自信を無くしていた私は彼らにそれを訊くことができませんでした。明日が来ないで欲しいと、日に日に眠るのが怖くなっていました。
ですが、母親が励ましてくれたり、無心になれる絵に没頭することで、「あ、世の中には色んな人がいるんだ」と周りが気にならないようになってきました。自分はもう大丈夫だと自信がついてきたのです。
自信を、あるいは勇気を持つことはとても難しいです。
私はこの京都あすなろ教室で、美術を通して、こどもたちと会話をし、彼らの現実的な力になりたいです。前に進もうとしているこどもたちの背中を私なりの方法で(京都大学などに在籍する優秀な同僚たちとは一味違ったアプローチで)精一杯押してあげたいと思っています。勉強は他の(優秀すぎるくらいに優秀な)講師仲間たちに任せます(笑)。でも、「勉強以外」もめっちゃくちゃ大事ですので、そこには私も真摯に関わらせてもらうつもりです。

上手く描こう、作ろうというのが目的ではありません。こどもには、''こんな事がやりたいな、あれもやってみたいな!''と楽しんで欲しいです。
そして絵を描くことや何かを造形することを少しでも好きになってくれたら嬉しいです。
好きなことしか長くは続けられないと思いますし、続けることからしか、価値あるものと出会うことは難しいんじゃないか――私はそんなふうに考えるのです。

長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。皆さんと京都あすなろ教室で会えることを心より楽しみにしています。


jun

<< 前のページに戻る