京都あすなろ教室

元講師たちと塾長のページ

元講師大花のメッセージ

こんにちは。講師の大花です。

以前は高校受験指導の大手進学塾で集団指導をしていました。
そこでは完全に組まれたカリキュラムに従って授業を進めるよう指示されていました。

学校で勉強についていけなくなった生徒さんは、塾に来てもついてこられないままでした。躓いても容赦なく進むカリキュラム。はじめから頭のよい子がいい学校へ進学していきました。

それでは私が先生をする意味はありませんでした。もっともっと一人一人に寄り添って、一つずつ抱える問題を一緒に解決してあげたい。それが叶わないのでそこで働くことを辞めたのです。それでも先生という仕事は好きなので、いつか生徒さんに寄り添ってその子にあった授業ができる日が来ればいいなと思っていました。

今回ご縁があり、ここで講師をすることになりました。どんな生徒さんに会えるのだろう、とてもわくわくしています。

あなたはどんな問題を抱えているでしょうか。
今、どんな景色が見えているでしょうか。
なにも見えない、見たくないかもしれませんね。

人によって、人生で課される問題は違います。もちろん、解きかたも違います。正解のない問題もあります。解ける未来が見えない難題もあるでしょう。解きたくない問題や無理に解く必要のないものもあるかもしれません。

押しつけたりはしません。
あなたがやりたいことを、やりたいだけでいいのです。
動き出せば、未来はついてくるのですから。
もしよければ、一緒にいろんな景色を見てみませんか。
あなたの力に、なってみたいのです。


「まかない」のことby塾長

「まかない」のこと

うちの講師たちは、僕のつくった「まかない」を食べる。
講師はパスタやラーメンや丼を食べながら、僕にその日の授業のことや、生徒の展望や、まったく塾には関係のないプライベートな話を聞かせてくれる。
時には、生徒も一緒に食べる。生徒の親御さんも一緒に食べることもある。たこ焼きパーティーをやったりもする。そんな塾はなかなかないと思う。

「フレンドリーな塾なんですよ」とアピールしたいのではない。「気さくな塾長」を演じたいわけでもない。僕はどちらかと言えばフラットだ。万人に愛されるタイプのキャラクターではない。僕と十人の人が出会ったら、3〜5人は僕を「嫌だ」と思うかも知れない。それでいいと思っている。迎合は、するのも、されるのも、しんどい。
僕は講師とも、生徒とも、生徒の親御さんともフラットに接したい。

料理は、「フラットな対話」に彩りを添えてくれる。
複数で食べる食事は、単純においしい。
不登校児の多くは、大なり小なりの孤独を抱えている。「家族以外の誰か」と食事をする機会も、学校へ通っているこどもよりは少ないかも知れぬ。
僕は夢想する。
うちで学んだこどもたちが成長し、やがて大人になって、社会へ出て――たとえば、30歳になって、会社の帰りに仲のいい同僚や恋人と寄った焼き鳥屋のカウンターで――ふと、自分が十代のある季節に学んだ「京都の片隅に在る教室」のことを思い出してくれることを。そして、
「俺、昔、不登校やっててさ……」
気のおけない仲間や恋人に「問わず語り」でうちの講師たちとの思い出を語りだしてくれたら、と……。

忘れ去られてもいい。僕だって、教え子を全員くっきりと覚えたまま年老いていく自信はない。記憶力の劣化は年齢相応だし、いずれ忘れちゃうんだろうとも思う。
でも、前述したように「焼き鳥屋のカウンター席で恋人や仲間に……」のようなことが起こってくれたら、もうそれは感無量である。
(桑田佳祐的な国語を使えば)「忘られぬ」教室で在りたいな――と、こっそり想っている。


生きながら「死んでいた」頃の話

宮台真司、二村ヒトシ『どうすれば愛しあえるの』を再読した。
とにかく濃密な対談なので、何度でも読み返したくなるし、この書を題材に語ってみろと言われたら5時間くらいは語り続ける自信がある(宮台さん、二村さんにその『語り』を聞かれたら、「わかってねえなぁ」と苦く笑われそうだけど)。
ここではひとつだけ、二村さんの言葉を引用する。

「人間は本当に自由だと何もできない」

この十年強、不登校児や高校を中退して引きこもっているこどもをたくさん見てきた。
彼らの多くは24時間を「自由」に自分の好きなように使える立場にいた(いる)。
でも、一人として、「自由を満喫して、楽しそうな不登校児」を見たことがない。
強がって「(今の生活は)つらくない」と「主張」するこどもや、「学校へ行って何が得られるの?」的な、ダッサイ逆ギレ的な問いかけを浴びせてくる親御さんは何人かいたけれど(何を得るかくらい自分で決めろよ、って話だ)、彼らもまた楽しそうではなかった。と言うより、明らかに苦しそうだった。
恐らく、と僕は彼らの無理やり捻り出したような歪んだ笑みを思い出しながら考える。
――本物の自由は不自由の中にしか、ない。

他者の話ではなく自分自身の話をしよう。恥の歴史をひとつ語ろう。
今よりずっと若い頃、期間にして4ヶ月位、僕は、ある女性に食べさせてもらっていた。いわゆる「ヒモ」だ。
「自由」だった。商社に勤めていた彼女が朝、出勤する。最寄りの駅まで歩いて見送る。改札口のところで、
「いい子にしててね」
と、大の大人(年齢だけは大人)の僕に向かって彼女が言う。
僕は彼女の背中を見送るや、踵を返して、帰り道のコンビニで酒を買う。彼女から貰った「こづかい」で、だ。そして朝から酒を呑み、昼過ぎには呑み疲れて寝てしまい、彼女が帰宅する夜にのろのろと起き出す。そんな自堕落を二乗したような生活。
「自由」だった。何も義務がなく、責任もなく、紛れもなく「自由」だった。必要なものは彼女が購入してくれたので、物にも金にも困らなかった。だけど、まったく楽しくなかった。底なしに退屈で、悲しみもないかわりに喜びとも無縁な、出逢いも別れもない、変に平たくて、どんよりと曇り、ひどく濁った時間がダラダラと流れてゆく。その、実体がない流れにたゆたいながら、ときどき、真面目に、「死にたい」と考えたりもした。が、臆病な僕は死ねず、死なないばかりか安酒をかっ喰らい、逃げ、女性にこころも財布も依存して時間だけをうっちゃる日々だった。「自由」な日々は、純然たる絶望と直結していた。ありきたりな物言いをするなら、生ける屍。あの頃の僕は、そう、生きながら、「死んで」いた。

二村さんの箴言――人間は本当に自由だと何もできない――を今一度、咀嚼する。自らの過去が去来し、苦い味がする。
今もしもこの駄文を読んでいるあなたが不登校だったり高校中退で家にこもっていたりして、めちゃくちゃ「自由」な立場に在るのなら、と仮定する。そして、上述した「ヒモ」時代の僕のように「絶望的な自由」を心身で味わっているのなら、と仮定する。
うち(京都あすなろ教室)へ来て、ちょっと勉強でも始めてみませんか? 
今よりちょこっと不自由になることから、愉しい自由へ向かって(カギカッコなしの本物の自由へ向かって)一歩を踏み出してみませんか?

「勉強しないと、いい学校に入れないよ」とか「いい学校を出ないと、いい職業に就けないよ」とか、そういうことはどーでもいいんだ。
そういうことじゃなくて、生きようよ、と。
「好きなように生きようよ」ってことを僕は不登校の君に、高校を中退して暗くなっちゃってる君に言いたい。
好きなように(本物の自由を満喫して)生きるためのひとつのツールが勉強(受験勉強)なんじゃないか、と思うんだ……。

(2020.7.26)

君が今、悲しいのなら

尊敬する山田太一さんの掌編小説『川崎へいらっしゃい』を読んだ。
「悲しい奴は、うちへ来い」
という一節があった。
「あぁ、これだ」と僕は思った。

今自分の目の前に広がっている現実に打ちひしがれている小中高生、高校中退者。明るい未来を思い描こうにも、描けないこども。
僕や講師たちが出逢いたい(つながりたい)のは、そういう「今がしんどい、今が悲しい」こどもです。

もしも、君が今、悲しいのなら、どうかその悲しみをつれて、京都あすなろ教室へ来てほしい。
もしかしたら、君にとって、善い出逢いがここには在るかも知れません。
ひとつずつ、君の、その、しんどくて悲しい現実を変えていこう。