京都あすなろ教室

元講師たちと塾長のページ

盲目の純

純は寒い日も夏の暑い日も毎日休まず健気に運動します。
純は盲目です。
全盲だから、昔のように颯爽とは歩けません。テクテクと一所懸命歩く純を見つめながら、ふと思うことがあります。

健康なのにゲーム三昧、スマホ三昧、惰眠三昧の不登校児がいる。
むろん、人生には、そんな季節があってもいいんです。生まれてから死ぬまでずーっと頑張り続けられる人間なんてごくごく少数。どうにもなんない隘路にハマりこんでしまうような時期が、人生にはあるんだと……。
でも、いつまでもそんなことはしてられない。
なのに、本人のみならず、親までが、
「うちの子は駄目なんです。動けないんです」
って、その状態を「是認」しちゃう……。
個人的には、ニートでもなんでも衣食住に困らないようなシステムを政治が作ればいいと思ってます。でも、哀しいかな、今の日本って弱者にはとことん冷淡なシステムですよね。
だったら、
「うちの子は駄目なんで……」
って親が諦めたらあかんやん、って思うんです。
そりゃ本人はゲーム三昧、アイドル三昧、スマホいじり倒して、好きな時に寝て好きな時に食べて、親には生意気言って、そのくせ何にも頑張らない生活が楽だから(それが続かないとはうすうすわかっていても)、楽な方へ逃げ続けようとしちゃうでしょうよ。
でも、親までがそんな自堕落なダサい生活を「肯定」しちゃったら、5年後、10年後、リアルにどうすんの!?って話です。
繰り返しますが、僕は、無職の人でも、頑張らない人でも、生きているだけでいいんだ、って本当は思ってます。だけど、これまた繰り返すと、
「それじゃあ生きていけないのが現実やんか……」
って話です。

本人が動かないなら、親が動く。
なんとか現実を変えようと動く。そうあってほしいと思います。
別にうち(京都あすなろ教室)じゃなくても、その子に合う居場所、頑張る場所は見つかりますよ。見つけようと親が動いてほしいんです。
親が白旗を上げてしまうのは「究極のネグレクト」です。
僕はそういう親御さんも見てきました。
子どもがとんでもないことになっているのに、自分一人で旅行を楽しむお父さんとかね。正直、「アホか、こいつ」って思いますよ。で、そういうお父さん、結構いるんですよ、ホンマに。毎週末、競馬に溺れてる馬鹿とかね……。
そこにあるのは、徹底的な利己です。

かく言う僕も利己的にしか生きられない時期がありました。
では、利己的に生きた結果、自分を利することができたか?
できませんでした。
利己の果てにあったのは、僕の場合で言えば、絶望的な孤立でした。心を通わせる相手が誰もいなくなった……。
そんな情けない歴史が自分にはあるから余計に思うんですよね。自分のためにも、人は利他の心をベースに生きるしかないんだと……。


元講師三牧のメッセージ

みなさんこんにちは。講師の三牧と申します。
 
 Q:10代から20代の若者のうち、留年・中退・退職を経験する人はどのくらいいるのでしょうか?
→A:半分以上です。つまり40人クラスがあったら20人以上です。
 
つまり不登校/学校中退というキャリアを選択することは珍しいことでも失敗でもないと思います。むしろこのような標準的キャリアからの逸脱は、若者にはつきものなのです。中学→高校→大学→就職という単線的なキャリア観を参考としても、それに拘泥するのはあまり良くないと思います。
 
加えて、日本の就業者数が6658万人、失業率が2.8%という事実(働く意思のある人はほぼ全員働けるということです)を見れば、レールから外れるような経験があっても、あるタイミングできっかけを掴んで、それぞれの社会生活を送っているのが大人の実情です。進学についても同様のことが言えます。現代社会は「大学全入時代」と言われています。進学したい人のほとんどが進学できる社会です。
 
要するに「何とかなる」のです。
 
しかしながら、「不登校者/学校中退者が希望を持てない」のも一面の真実だと思います。不思議に思うかもしれませんが、上で見たような社会のありようと個人の心理とはまた別の話なのです。いずれにせよ、塾に通うのであれば、進学してみるのが良いと思います。
 
高校へ行かなくても試験を受けて高卒認定という資格を取れば大学入試を受験できます。私はそうしました。中学高校に比べて大学の人間関係やカリキュラムは自由です。自らの関心に遭遇したり、興味に集中することができます。「希望を持てない」状態も、好転するかもしれません。この点で、大学の方が良い環境だと感じる人も少なくないと思います。
 
最後になりましたが、進学を検討する場合は、どのくらい勉強するか/どこに進学するかは自分で考えてみてください。「大学全入時代」だと言っても、学習機会が与えられていない学校中退者にとっては、学習の際に一定の困難が伴うのは事実だと思います。そのときに、不登校者/学校中退者にフェアな機会を与えるのが講師の役割であると思っています。

元講師武田のメッセージ

みなさん、はじめまして。京都あすなろ教室で講師を務めている武田虹羽(たけだにじは)と申します。
私は、小学生の美術を担当しています。

唐突ですが、「美術」とは、いったい何でしょうか。
私が考える美術、アートとは、「言葉で表現できない、心の奥の方にある大切な思いを表すもの」に他なりません。
自分が今何に対して興味を持っているのか、今どんな思いや感情を抱いているのかを目の前の相手(あるいは、この世界全体)に知らせるためのコミュニケーションツールです。
思想や感情を作品にぶつけることで知らず知らず心に溜まっていた「負の何か」を吐き出してスッキリできたり、作品を通して自分という人間を客観的に眺めることでさらに深く真っ直ぐな自己理解へと繋げることも叶います。

何かを表現したい時、人は無意識のうちに頭の中でイメージを浮かべます。その行為の積み重ねは集中力と創造力を豊かにします。
(作品に使う)様々な素材に触れることにより、好奇心が掻き立てられます。絵の具や粘土、いろんな素材を使い自分自身を自由に表現をすることで 「本来の自分」を知る手がかりが掴めます。それが(他者から与えられた正体の怪しい承認ではなく)本当の自己承認、自信へと繋がっていくこともあります。
アートは多くの可能性を秘めています。
長々と独りよがりな思いを綴ってしまいましたが、私は美術を通してこどもたちに、
「ここにいていいんだよ」
という気持ちを伝えたいです。こどもたちが、安らかで、自然で、ほんのりと楽しい気持ちを抱くお手伝いがしたい。実は、それだけです。
何かに怯えたり不安がったりする必要はありません。
こどもは、ただ「ここにいる」ということだけでいいんだ、と私は考えています。まだ大学一回生の私には、この世界はわからないことだらけです。でも、「学校へ行っていないからという理由で卑屈になったり自分を嫌いになったりする必要はない」ということくらいは、わかります。
極端なことを言えば、私があすなろ教室で出会うこどもたちにいちばん与えたいのは「今、ここにいることの楽しさ」に気づくきっかけです。そして、もうひとつは「美術の楽しさ」。このふたつをこどもに与えることが出来た時、「あぁ、このバイトをやってよかったな」と私は噛みしめられるのかも知れません。

自分が小学生の頃の話をします。
私は児童館にいる時限定で嫌がらせを受けたことがありました。学校にいる間は何もされません。自分に嫌がらせをしてくる相手に原因を問いたかったのですが、自信を無くしていた私は彼らにそれを訊くことができませんでした。明日が来ないで欲しいと、日に日に眠るのが怖くなっていました。
ですが、母親が励ましてくれたり、無心になれる絵に没頭することで、「あ、世の中には色んな人がいるんだ」と周りが気にならないようになってきました。自分はもう大丈夫だと自信がついてきたのです。
自信を、あるいは勇気を持つことはとても難しいです。
私はこの京都あすなろ教室で、美術を通して、こどもたちと会話をし、彼らの現実的な力になりたいです。前に進もうとしているこどもたちの背中を私なりの方法で(京都大学などに在籍する優秀な同僚たちとは一味違ったアプローチで)精一杯押してあげたいと思っています。勉強は他の(優秀すぎるくらいに優秀な)講師仲間たちに任せます(笑)。でも、「勉強以外」もめっちゃくちゃ大事ですので、そこには私も真摯に関わらせてもらうつもりです。

上手く描こう、作ろうというのが目的ではありません。こどもには、''こんな事がやりたいな、あれもやってみたいな!''と楽しんで欲しいです。
そして絵を描くことや何かを造形することを少しでも好きになってくれたら嬉しいです。
好きなことしか長くは続けられないと思いますし、続けることからしか、価値あるものと出会うことは難しいんじゃないか――私はそんなふうに考えるのです。

長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。皆さんと京都あすなろ教室で会えることを心より楽しみにしています。

元講師土井のメッセージ

皆さんこんにちは。講師をさせて頂く土井星太朗です。
皆さんは学校という空間において、何らかの問題に直面し、それに対する策の中から学校に行くのをやめる、という選択肢を選ばれたのだと思います。
その選択肢を選んだ皆さんは自分のとった判断についてどう思うでしょうか。マイナスな思いを抱いてしまう方もいらっしゃると思います。
しかし、僕はその判断は悪い判断だとは決して思いません。むしろ、その判断によって困難を克服できた自分を誇ってほしいと思います。

人は誰しも困難に直面します。それは時にはそれを解決しなければいけないという現実から目を背けたくなるような辛いものである時もあります。学校生活に抱えた、そのような大きな困難を、学校に行かないという手段によって自ら乗り越えることが出来たということは本当に立派です。まずは、自分の力で問題を乗り越えられた自分自身を誇ってほしいです。
では、見事その問題を乗り越えられた皆さんには、次に受験という大きな問題が立ちはだかっていると思います。
このような大きな問題を乗り越えようとする時、皆さんは何が不可欠であると考えるでしょうか。僕は、それは「やりたいこと」を見つけることだと思います。
なぜなら、それは今自分が何をするべきか、をある程度つかむ判断材料になり、また精神的な支えにもなるからです。
その「やりたいこと」はどんなに大雑把でも、漠然としていても構いません。僕も一度、大学受験に失敗するという大きな困難に直面し、浪人という選択肢を選びました。
ここで僕がこの問題を乗り越えるにあたり僕を支えてくれたのが、得意な化学で人の役に立つために薬学を勉強したい、という漠然とした「やりたいこと」でした。また浪人中、僕は幾度となくさまざまな困難に直面しましたが、それらを克服できたのも、僕には「やりたいこと」がある、という自信があったからでした。
たとえ今皆さんが「やりたいこと」を見つけていなくても問題ありません。些細なことでも皆さんがそれを見つけられるように、全力でお手伝いいたします。
もし良ければ、一緒に皆さんの「やりたいこと」を探しましょう。
そして、一緒に困難を乗り越えていきましょう。

元講師成瀬のメッセージ

京都あすなろ教室で講師をさせていただいています成瀬と申します。
高校時代は陸上部に所属し、部活にも勉強にも全力で打ち込んできました。
今は大学院で研究に勤しんでいます。
部活はもう引退しましたが、やりたいことをどんどんやっている、忙しい日々を過ごしています。
塾長からはよくパワフルな講師、そんな風に紹介されます。

自己紹介はここらへんにして・・・
僕が勉強を自分でするとき、また、人に教えるときに心がけていることが1つあります。それは、「楽しむ」ということです。もちろん、勉強自体は楽しいと断言できるわけではありません。単に英単語や歴史上の人物、数学や理科の公式を頭に入れていくことは楽しめるものではありません。(※知識が自分の頭に入ることを快感としている人は除きます。)しかし、そんな中でも、少しでも楽しもうという努力を僕はしてきました。特に、人に教えるときは、単に内容を説明するのではなく、冗談を交えて話したり、答えもただ教えたりするのではなく、ヒントを出して本人に自力で答えてもらったりもします。生徒が自発的に答えを導き出すことによって、正解を発見する楽しさを感じると同時に、記憶にも効果的に残るのです。生徒が僕の授業を通して少しでも楽しい思いをしてくれたら僕は幸せです。

実はこの「楽しむ」という言葉、僕の人生の中でも重要なキーワードとなっています。僕は子供の頃からこのように思って生きています、「どうせ同じことをするのなら、楽しんでやったほうが得だ。」と。人生において時間は有限です。どんなことをしようとも、人生の残りの時間は刻一刻と減っていきます。同じ勉強をするにしても、嫌そうに1時間勉強するのも、楽しく1時間勉強するのも、経つ時間はもちろん同じです。どのみち、勉強はある程度はやらなければいけません。それだったら、楽しんでやったほうが絶対に得じゃないか、楽しまなきゃもったいない、といつしか成瀬少年は思うようになりました。それは今現在の僕にも引き継がれています。勉強を楽しみながら頑張った結果、今の大学に通えています。受験勉強に励んだ1年弱、楽しかったと断言できます。

京都あすなろ教室は勉強をするためだけの場所ではありません。もちろん学力も全力で上げますが、まずは教室に来てもらって単調な毎日に少しでも楽しさを与えられたらなと僕は思います。その上で、勉強を楽しくやること、何事も楽しくやることの大切さをわかってもらい、学校という社会に飛び出していただきたいです。学校というものは、大切なことがいくつも学ぶことのできる重要な場所だからです。

いま学校に通えていない子たちで、いまの生活に満足している人はあまりいないと思います。なんとなく時間を無駄にしてしまっているような、そんな感覚になってしまっているのではないでしょうか。そうです、先ほど言ったように人生の時間は有限です。特に学生時代の時間は本当に短い、かけがえのないものです。世の中には、「楽しい」ことがたくさん広がっています。そんな時間を無駄にしないために、みんなには、楽しいと感じてもらいながら、勉強をし、視野を広げ、世の中に羽ばたいてたくさんの楽しみを経験してもらいたいです。楽しむことの大切さを感じてもらいたいです。

ぜひ教室に遊びに来てください。
一緒に楽しみましょう。
楽しい未来を切り開きましょう。
教室でお待ちしています。

一度きりの人生だから。

「不登校で何が悪い? ぼく(わたし)は今、楽しいよ」
と心から言える人がいるでしょう。そういう人たちと京都あすなろ教室は「縁がない」と思います。
「我が子は不登校ですが、何が悪いんですか?」
という親御さんとも、うちの教室は「無縁」でしょう

私も、不登校、高校中退が「悪い」などとは露も考えません。それは人生のひとつの「局面」に過ぎません。
が、学校へ行かず、かと言ってアルバイトするでもなく、家でスマホ(ゲーム、SNS)と惰眠三昧。そういう生活を送ることは、人生が一度きりであることを考えると、
「なんてまあ、もったいないことを……」
と考えるのです。

無論、どう生きるも、その本人の自由です。
そこに「良し悪し」も「正しい・正しくない」もない。それはそう思います。
本人が「これでよし」と思える人生の軌跡を各人が描いていけばいいのだと……。

京都あすなろ教室は、
「この暗い現実を変えたい!」
「この虚しい生活を何とかしたい!」
「高校をやめちゃったけど、わたし(ぼく)にか【行きたい大学】があるんだ!」
という(今の現実に満足していない)十代の若者とそのお母さん、お父さんのリアルな味方にならんとする私塾です。

京都あすなろ教室で人生の流れを変えましょう。
目の前の景色を動かしていきましょう。
一度きりの人生です。思いっきり、それを楽しみましょう。

ありきたりな物言いになりますが、
「止まない雨はない」
「明けない夜はない」
京都あすなろ教室は、「今の景色を変えたい」と本気で望む親子の「太陽」になりたいです。

ご連絡を心よりお待ちしています。

京都あすなろ教室・守内祐司

中学生の不登校について

2010年の開塾以来、京都あすなろ教室でたくさんの中学生が学んでくれました。
今、この拙文を読んでくださっているのは、学校に行っていない中学生自身でしょうか。それとも、その親御さんでしょうか。
そのどちらであれ、こうお考えではありませんか?
「不登校児は、普通科の高校へ行けない。道は、通信制や定時制しかないんじゃないか……」
と。
まず、これだけは最初に断言しておきます。
不登校児でも普通科の高校へ行けます。

私がこう断言すると、こんな声が飛んでくるかも知れません。
「普通科の高校って言っても、『最底辺の高校』じゃないの?」
偏差値の高い順に上から高校名を並べて、そのピラミッドのボトムに位置する学校を「最底辺」などと呼んで軽侮するような実に愚劣な(差別)思想には辟易しますが、その問題はいったん脇へ置きましょう。私はこう言います。
やり方次第では、難関校にだって行けます――。

実際にうちで起こった例をお話させてください。
2016年、夏、A君という中3男子が入塾してきました。
A君は、中2の春頃から学校へ行けなくなりました。入塾した時点での不登校歴は約一年半。結局、その不登校は卒業まで続きました。ちなみに言えば彼の通知表は「ほぼオール1」でした。内申書が大きくものを言う高校入試においては「絶望的な数字」と言えます。
ですが、次の3つの要素があれば、その「絶望」は「希望」へと変わります。
その三要素とは?
「本人が努力すること」
「親御さんが動くこと」
「第三者(A君の場合は私でした)が学校との橋渡し役となって、高校サイドと真摯に交渉すること」
三要素を重要な順に並べました。
A君は夏に入塾したものの、秋頃にはスランプに陥り、「不登校」ならぬ「不登塾」の状態になりました。私は、A君を担当した梅田(京大文学部)や西川(京大経済学部)をつれて(教室へ来ない)彼の自宅を訪ねたりもしました。A君はいくら私たちが声をかけてもベッドから起き上がってきませんでした(この時のA君の状態を精確に表現する国語力を私は持ちません。敢えて言えば、死んでいるように生きていました)。A君のお母さんの涙を私は何度見たことでしょう。
が、冬に、ある私立高校の入試担当の先生(後にその高校の教頭先生になられました)の温かいご協力をいただきました。私はA君のお母さんと一緒にその高校を何度も訪ねました。周囲の熱情が届いたのか、当のA君もようやく覚醒。先述の二人の講師に加えて、成瀬(京大工学部)にも徹底的に勉強を鍛えられたA君は京都の某私立高の特進コースに合格しました。まさに「付け焼き刃」的な猛特訓でした。大学入試に付け焼き刃は通用しませんが、高校入試では有効です。

まず、不登校児本人が立ち上がる。それを親御さんが物心両面においてサポートする。そして、場合によっては、受験に精通した人間が学校との交渉などを買って出る。
もう一度、念のために繰り返します。
不登校児であれ、普通科の(しかも上位の)高校に行けます。やり方次第では。

十年前の開塾時、私は「不登校児の復学」を最大の目標として掲げていました。
無論、今も復学は目標のひとつです。が、「最大の」ではありません。「唯一の」でもありません。
実際に私が接した不登校の中学生の大半は「復学」を望んでいませんでした。親御さんは復学を望んでいる場合が多いですが、それでも学年が上がるにつれ(中学卒業が近づくにつれ)、「復学よりも(中学卒業後の)進路」へ関心事をシフトさせます。
私もこの十年で己の考えを改めました。
今は、「復学できるに越したことはないが、それよりも卒業後の進路を切り拓くこと」との考えに至っています。付け加えるなら、復学するにしても「どのような状態で復学するか」が非常に重要です(この点は開塾時から変わりません。「ただ(学校へ)戻る」ではなく「よい状態で戻ること」が大切です)。

改めて整理します。
京都あすなろ教室では、中学生ならば、まず第一に「高校進学」を考えます。それも通信制や定時制ではなく、「普通科の高校」をターゲットとします。
「不登校をしていたから、どうせ高いレベルの高校になんか行けない」という諦めは不要です。
「内申書不問」を公言している私立の名門高校も存在します(※内申書は不要だが、副申書は要るというような学校もあります)。

「挑戦しない理由」を探すより、「挑戦する理由」を見つけましょう。
それが見つかったらなら、あとはコツコツと努力することだけです。
結果はもちろん大切です。が、結果よりも大切なのは経緯。言わずもがなです。経緯を充実させたら、自ずと結果はついてきますし、受験の合否という結果以上に大きい副産物――人としての成長と進化――はプロセスの中にしかありません。

京都あすなろ教室は、不登校で悩む中学生が光の射す方へ向かっていくその道程を徹底サポートします。

最後にひとつ付記しますと、上述のA君は今春(2020年)、同志社大学に現役合格しました。そして、我が京都あすなろ教室の講師陣に加わりました――。


元講師大花のメッセージ

こんにちは。講師の大花です。

以前は高校受験指導の大手進学塾で集団指導をしていました。
そこでは完全に組まれたカリキュラムに従って授業を進めるよう指示されていました。

学校で勉強についていけなくなった生徒さんは、塾に来てもついてこられないままでした。躓いても容赦なく進むカリキュラム。はじめから頭のよい子がいい学校へ進学していきました。

それでは私が先生をする意味はありませんでした。もっともっと一人一人に寄り添って、一つずつ抱える問題を一緒に解決してあげたい。それが叶わないのでそこで働くことを辞めたのです。それでも先生という仕事は好きなので、いつか生徒さんに寄り添ってその子にあった授業ができる日が来ればいいなと思っていました。

今回ご縁があり、ここで講師をすることになりました。どんな生徒さんに会えるのだろう、とてもわくわくしています。

あなたはどんな問題を抱えているでしょうか。
今、どんな景色が見えているでしょうか。
なにも見えない、見たくないかもしれませんね。

人によって、人生で課される問題は違います。もちろん、解きかたも違います。正解のない問題もあります。解ける未来が見えない難題もあるでしょう。解きたくない問題や無理に解く必要のないものもあるかもしれません。

押しつけたりはしません。
あなたがやりたいことを、やりたいだけでいいのです。
動き出せば、未来はついてくるのですから。
もしよければ、一緒にいろんな景色を見てみませんか。
あなたの力に、なってみたいのです。


元講師小島のメッセージ

このページを見ていただきありがとうございます.講師をしております小島です.

このページを見ているあなたは,何らかの理由で学校に居づらさを感じている方だと思います.不登校になってしまったり,退学を経験したかもしれません.
私は,学校とはとても特殊な場所だと思っています.必ずしも学校は「社会の縮図」ではなく,学校生活独特の人間関係や暗黙のルール・決まりがあったりするものです.
だから,たとえあなたが学校にうまく居場所を見つけられなかったとしても,この社会の中に居場所がないわけでは決してありません.
あなたにとって馴染める場所,あまりストレスを感じずに居られる場所をこれからゆっくり探していけば良いと思います.

私自身も,小・中学校と不登校で,高校の時には出席日数不足で留年・退学した経験があります.
当時は,どうしても,学校で座学の授業,部活動,学校行事をこなしていくことに窮屈さを感じていました.一日登校しては,疲れてぐったりしてしまい,数日動けないようなことが多かったと思います.
それでも,自分の興味を持ったものを調べたりするのは好きだったので,大学で好きなことを勉強する方が性に合っているのではないかと思っていました.
結果,早く大学に行きたかったので,高校を一年ダブって卒業するよりも,中退して高卒認定を使って進学することを選びました.
その選択は,私にとっては間違いではなかったと思っています.

大学は高校までの学校とは雰囲気が全然違う場所です.
時間割は自分の都合に合わせて決められるし,様々な科目が開講されていて,自分の興味が向いた授業には気軽に参加することができます.大学にはいろんな場所から来た人たちがいて,その経歴も様々です.大学の先生も個性的な人が多く,話してみると結構面白い人もいます.
もしこれまでの学校生活にあまり馴染めなかったのなら,大学という場所にチャレンジしてみるのは良いことだと思います.
実際,私の周りの人でも,中学や高校よりも大学の方が居心地が良いと言う人が多くて,私自身も同じ感想だからです.

あなたが大学に興味を持ってくれたのなら,ぜひ受験勉強をスタートしてみましょう.
難しくなる必要はありません.受験勉強をするのに,予備校や家庭教師は必ずしも必要ではないのです.
本屋さんの参考書売り場に行くと,様々な種類の参考書が置かれています.その中からレイアウトが一番自分好みのものを選んでパラパラ眺めていたら,その時点でもう「受験勉強」をしていると言えると思います.
自分で参考書を買って進めていく勉強は,誰にも邪魔されたり急かされたりせず,自分のペースで進められるというメリットがあります.
私自身も,予備校にはほとんど通わず,自分にとって分かりやすそうな参考書を買って独学していくというやり方で,大学受験の勉強をしていました.

ただ,もちろん自分で勉強していて詰まるところが出てくることはあると思います.
本を読んでも分からないところは,その教科の先生の解説が欲しくなるものです.
また,一人でやっているとモチベが落ちてしまい,思うほど進まなくなるときもあるでしょう.
自分のやっている勉強の仕方が,本当にこれで良いのか?と疑心暗鬼になることもあると思います.
そんなときに,当塾はあなたの助けになれると思います.ここには様々な科目に対応できる先生たちがいます.学習やその他のことでも気軽に相談することができます.私自身も,不登校&留年&中退&独学経験者として,自分の経験からあなたに役立てるアドバイスができたら良いと思っています.

もし,「おっ,この塾使えそうじゃん!」と思ってもらえたら,ぜひ教室に顔を見せてくれるとうれしいです.ぜひ私たちにあなたのお話しを聴かせてください.そうして,あなたのしたいことについて一緒にじっくり考えていきましょう.

「まかない」のことby塾長

「まかない」のこと

うちの講師たちは、僕のつくった「まかない」を食べる。
講師はパスタやラーメンや丼を食べながら、僕にその日の授業のことや、生徒の展望や、まったく塾には関係のないプライベートな話を聞かせてくれる。
時には、生徒も一緒に食べる。生徒の親御さんも一緒に食べることもある。たこ焼きパーティーをやったりもする。そんな塾はなかなかないと思う。

「フレンドリーな塾なんですよ」とアピールしたいのではない。「気さくな塾長」を演じたいわけでもない。僕はどちらかと言えばフラットだ。万人に愛されるタイプのキャラクターではない。僕と十人の人が出会ったら、3〜5人は僕を「嫌だ」と思うかも知れない。それでいいと思っている。迎合は、するのも、されるのも、しんどい。
僕は講師とも、生徒とも、生徒の親御さんともフラットに接したい。

料理は、「フラットな対話」に彩りを添えてくれる。
複数で食べる食事は、単純においしい。
不登校児の多くは、大なり小なりの孤独を抱えている。「家族以外の誰か」と食事をする機会も、学校へ通っているこどもよりは少ないかも知れぬ。
僕は夢想する。
うちで学んだこどもたちが成長し、やがて大人になって、社会へ出て――たとえば、30歳になって、会社の帰りに仲のいい同僚や恋人と寄った焼き鳥屋のカウンターで――ふと、自分が十代のある季節に学んだ「京都の片隅に在る教室」のことを思い出してくれることを。そして、
「俺、昔、不登校やっててさ……」
気のおけない仲間や恋人に「問わず語り」でうちの講師たちとの思い出を語りだしてくれたら、と……。

忘れ去られてもいい。僕だって、教え子を全員くっきりと覚えたまま年老いていく自信はない。記憶力の劣化は年齢相応だし、いずれ忘れちゃうんだろうとも思う。
でも、前述したように「焼き鳥屋のカウンター席で恋人や仲間に……」のようなことが起こってくれたら、もうそれは感無量である。
(桑田佳祐的な国語を使えば)「忘られぬ」教室で在りたいな――と、こっそり想っている。


生きながら「死んでいた」頃の話

宮台真司、二村ヒトシ『どうすれば愛しあえるの』を再読した。
とにかく濃密な対談なので、何度でも読み返したくなるし、この書を題材に語ってみろと言われたら5時間くらいは語り続ける自信がある(宮台さん、二村さんにその『語り』を聞かれたら、「わかってねえなぁ」と苦く笑われそうだけど)。
ここではひとつだけ、二村さんの言葉を引用する。

「人間は本当に自由だと何もできない」

この十年強、不登校児や高校を中退して引きこもっているこどもをたくさん見てきた。
彼らの多くは24時間を「自由」に自分の好きなように使える立場にいた(いる)。
でも、一人として、「自由を満喫して、楽しそうな不登校児」を見たことがない。
強がって「(今の生活は)つらくない」と「主張」するこどもや、「学校へ行って何が得られるの?」的な、ダッサイ逆ギレ的な問いかけを浴びせてくる親御さんは何人かいたけれど(何を得るかくらい自分で決めろよ、って話だ)、彼らもまた楽しそうではなかった。と言うより、明らかに苦しそうだった。
恐らく、と僕は彼らの無理やり捻り出したような歪んだ笑みを思い出しながら考える。
――本物の自由は不自由の中にしか、ない。

他者の話ではなく自分自身の話をしよう。恥の歴史をひとつ語ろう。
今よりずっと若い頃、期間にして4ヶ月位、僕は、ある女性に食べさせてもらっていた。いわゆる「ヒモ」だ。
「自由」だった。商社に勤めていた彼女が朝、出勤する。最寄りの駅まで歩いて見送る。改札口のところで、
「いい子にしててね」
と、大の大人(年齢だけは大人)の僕に向かって彼女が言う。
僕は彼女の背中を見送るや、踵を返して、帰り道のコンビニで酒を買う。彼女から貰った「こづかい」で、だ。そして朝から酒を呑み、昼過ぎには呑み疲れて寝てしまい、彼女が帰宅する夜にのろのろと起き出す。そんな自堕落を二乗したような生活。
「自由」だった。何も義務がなく、責任もなく、紛れもなく「自由」だった。必要なものは彼女が購入してくれたので、物にも金にも困らなかった。だけど、まったく楽しくなかった。底なしに退屈で、悲しみもないかわりに喜びとも無縁な、出逢いも別れもない、変に平たくて、どんよりと曇り、ひどく濁った時間がダラダラと流れてゆく。その、実体がない流れにたゆたいながら、ときどき、真面目に、「死にたい」と考えたりもした。が、臆病な僕は死ねず、死なないばかりか安酒をかっ喰らい、逃げ、女性にこころも財布も依存して時間だけをうっちゃる日々だった。「自由」な日々は、純然たる絶望と直結していた。ありきたりな物言いをするなら、生ける屍。あの頃の僕は、そう、生きながら、「死んで」いた。

二村さんの箴言――人間は本当に自由だと何もできない――を今一度、咀嚼する。自らの過去が去来し、苦い味がする。
今もしもこの駄文を読んでいるあなたが不登校だったり高校中退で家にこもっていたりして、めちゃくちゃ「自由」な立場に在るのなら、と仮定する。そして、上述した「ヒモ」時代の僕のように「絶望的な自由」を心身で味わっているのなら、と仮定する。
うち(京都あすなろ教室)へ来て、ちょっと勉強でも始めてみませんか? 
今よりちょこっと不自由になることから、愉しい自由へ向かって(カギカッコなしの本物の自由へ向かって)一歩を踏み出してみませんか?

「勉強しないと、いい学校に入れないよ」とか「いい学校を出ないと、いい職業に就けないよ」とか、そういうことはどーでもいいんだ。
そういうことじゃなくて、生きようよ、と。
「好きなように生きようよ」ってことを僕は不登校の君に、高校を中退して暗くなっちゃってる君に言いたい。
好きなように(本物の自由を満喫して)生きるためのひとつのツールが勉強(受験勉強)なんじゃないか、と思うんだ……。

(2020.7.26)

君が今、悲しいのなら

尊敬する山田太一さんの掌編小説『川崎へいらっしゃい』を読んだ。
「悲しい奴は、うちへ来い」
という一節があった。
「あぁ、これだ」と僕は思った。

今自分の目の前に広がっている現実に打ちひしがれている小中高生、高校中退者。明るい未来を思い描こうにも、描けないこども。
僕や講師たちが出逢いたい(つながりたい)のは、そういう「今がしんどい、今が悲しい」こどもです。

もしも、君が今、悲しいのなら、どうかその悲しみをつれて、京都あすなろ教室へ来てほしい。
もしかしたら、君にとって、善い出逢いがここには在るかも知れません。
ひとつずつ、君の、その、しんどくて悲しい現実を変えていこう。


地方で暮らす不登校児を救いたい

僕のおふくろは岡山の山奥に住んでいる。
文字通りの山奥である。山と川と田んぼがあるかわりに、外灯は極端に少ないので、夜は外が(歩くのが困難なくらいに)真っ暗になる。

5年ほど前だったか、おふくろが電話をかけてきて、
「うちの裏に住んでる中学生の女の子が不登校になってはんねん。祐司、なんとかしてあげられないかなぁ」
と言った。
その時は、悲しいかな、京都市内に在るうちの教室が岡山の山奥に暮らす中学生にしてあげられることはなかった。
ずっと、その女の子のことが頭にひっかかっていた。
去年、またおふくろが電話をかけてきて、その女の子の話をした。
なんでも、彼女は高校へは行かず美術系の専門学校のようなところへ進学し、元気に頑張っているらしい。セブンイレブンだかファミマだかでアルバイトもしていて、いきいきとした暮らしをしていると聞いて、僕は心底嬉しかった。いい人ぶるわけじゃなくて、本当に嬉しかった。

たとえば首都圏や近畿などの都市部に暮らしているなら、学校へ行かなくても、遊ぶ場所はたくさんある。そういったレジャー施設、あるいはスタバのような場所で息抜きもできる。むかしの友達にも逢おうと思えば会える。
が、田舎で暮らす不登校児(の多く)には「逃げ場所」がない。上述の女子のような環境に暮らしていたら、外に出ても、そこに在るのは大自然だけ。もちろん自然自体は美しい。が、学校というシステムから逸脱して、近未来の展望が描けないという暗い状況の中で見つめる大自然の光景は彼女の目にはどう映るだろう。
また、地方は、「近所の目」が厳しい。実際には厳しくなくとも「厳しいと感じる」と言った方が正確かも知れない。だから余計に外へ出にくくなる。

「地方の不登校児を救いたい」
という思いから、去年、京都あすなろ教室は、オンライン授業をスタートした。
これによって、全国のどこに暮らすこどもとも繋がることが可能になった。
本当なら絶対に交われなかったこどもとうちの教室が交わることが可能になった。先述の岡山の女子の力にはなれなかったけれども、今あすなろ教室には北陸地方在住の生徒もいる。
北海道、沖縄、四国、中国、九州、東京……。
京都の片隅に在るうちの教室と、どこかの町で(不登校や高校中退で)進路に悩んでいるこどもとの邂逅はこれから増えていくと思われる。

どんな田舎に住んでいても、逆にどんな都会に暮らしていても、「今、この場所」がしんどくてたまらないというこども、その親御さんがいるなら、うちの教室を「突破口」の選択肢のひとつに加えてほしいと願う。
「京都の塾」で京都大学の学生たちといっしょに学んで、暗い現実を少しずつ好転させていきましょう。


「見守る」という無策①

不登校や高校中退している子。
そのほとんどが現状に鬱屈しているわけだから、そりゃ家での言動が荒れることもある。
今はうちで講師をしているあゆと(同志社大学2年)なんかも、不登校真っ盛りの頃は液晶テレビをぶっ壊したり、いろいろたいへんだった、とあゆとママから聞いた。
家中の壁を穴だらけにした子、妹の教科書に火をつけて燃やした子、「身長を伸ばす外科手術を受けさせろ!」と親に噛みついて親父さんと取っ組み合いの喧嘩をした子……この十一年間で僕もいろんな荒れ方を見てきました。

おかしなことを言い出したり、派手に暴れたり、あるいは死んだように眠り続けたり、一日中スマホを手放さない我が子を見て、大抵の親は精神科やクリニックを頼ります。
むろん、それが悪いことだとは断じません。優秀な医師ももちろんいますから。
が、中にはボンクラな医者もいる。
双極性障害やら統合失調症やら、たいそうな病名をテキトーに与えて、怪しい向精神薬の処方箋も与えて、でも「リアルに進路を切り拓く術」は与える気もなく、与える技術も持たず、言うことと言えば、まさに馬鹿の一つ覚えの、
「見守りましょう」
である。

いつまで見守ればいいのか?
どんな姿勢で見守るべきなのか?
見守った果てには如何なる景色が見えてくるのか?
そこには無頓着。
極めて無責任な「見守りましょう」である。

僕に言わせれば、親が子を見守るのは当たり前で、というか、見守り続けていてどうにもならなくなっている事案がほとんどなわけで、やはり「見守る」よりも「動く」が大事なんです。

子が動けないなら、親が動く。
見守るという穏健な言葉の響きに逃げて何も手を打たず、時間だけが無為に流れ続けました……ってことにならないよう、こどもに合う塾なり家庭教師なりフリースクールなり通信制高校なりアルバイト先を見つけるべきです。探すべきです。

「本人が立ち上がるのを待つ」
これもまた劣悪な医者やカウンセラーの常套句ですが、「自分一人で立ち上がれる不登校児」って100人に5人もいないんじゃないかな。

繰り返します。
子どもが動かないなら、親が動いてみせる。
必死な親の姿を子どもはちゃんと(横目で)見ています。
本当は動き出したい、と思っている。誰が好き好んでニートなんてやりますか。
ひとつではなく、ふたつみっつと選択肢を提示していく。うざがられても、続ける。
そのうち、ボソッと、
「……そこ、行ってみよっかな……」
子どもが重い腰を上げる日が来ます。

見守りながら(見守るだけでなく)リアルに動きましょう。
きっと突破口は見つかりますから――。


「見守る」という無策②

不登校の状態が続いていて、精神的に参ってしまうと、少なからぬ不登校児の言葉や行動は、必然、荒れます。
が、これは病気なんかじゃありません。
たとえば、プロ野球などを観ていると、絶好のチャンスで三振を喫すると、その場でバッドをへし折っちゃうような選手が(稀にですが)います。決して見ていて気持ちいい振る舞いではありません。が、悔しさや情けなさがバッドを折るというアクションに直結してしまうからで、何も彼らは普段の生活で常に物を破壊したり、あまつさえ他者に日常的に暴力をふるうような人間ではないはずです(そんな犯罪的な性質の持ち主ならプロ野球選手などにはなれるわけがありませんから)。
それと似ていると言うか、「不登校(ニート)という状態」ゆえに、時として発現してしまう「必然的な現象」としての暴言や暴力的行為というものがあります。家の壁をボコボコにしたり、「死んでやる!」や「殺してやる!」といった暴言を吐いたり、です。
それを、一部の医師や専門家は病として「整理」してしまうから、問題の実相が見えなくなり、よけいに解決が遅れてしまう……ということが多々あるように感じられます。

「死んでやる!」とか「殺してやる!」的なセリフを僕もこの11年強で幾人もの生徒(主に男子にそのタイプが多い)の口から発せられるのを(又聞きを含めて)何度も聞きました。で、もちろん、実際に自殺や殺人をした生徒は絶無です。
僕に言わせると、国語力が低いゆえに、こころを覆い尽くしたネガティブな感情を的確な語彙とレトリックで表現できないだけです。日本語が貧弱だから、「死んでやる!」といった稚拙で単純な物言いになってしまいますが、もちろん本当に死にたいのではなく、「どうして俺(あたし)の人生はこんなことになっちゃったんだ!?」というぐちゃぐちゃな気持ちを、うまく表現できないだけです。
繰り返しますが、それは病気ではありません。たまに「病的な様相」を呈することはあるにせよ、あくまでも「病的」であって病そのものではない。
なのに、(また同じことを言いますが)一部の医者は、問題行動があるこどもにすぐに病名を付けたがるんです。そればかりか、脳に作用する強力な向精神薬を処方したりする。本当に始末におえない、劣悪な精神科医はたくさんいます。
そうじゃなくて(病なんかではなくて)、満たされないから言葉や行いが荒れるだけ。
それに対する「処方箋」は、小さくてもいいから自己を肯定、承認できる機会を作り、与えるしかないんです。指をくわえて見守ってる場合じゃありません。

進路が見えない不安や焦燥は、医者が処方する抗不安剤では消えない。
リアルな友が一人もいない孤独と憂鬱は、抗うつ剤では消せやしない。
ネガティブな感情を、薬物を使ってラリって誤魔化すことはできても、根源的な問題は横たわり続けます。むしろ、時の流れとともに、問題は色濃くなるだけでしょう。

自分が1ミリ動けば目の前の景色も1ミリ変わるという、当たり前の真実をこどもに実感させるしかないんです。
そして、「たかが1ミリ」と嗤わず、諦めず、その「されど1ミリ」を積み上げていくこと。
遠い未来を思い描くのではなく、取り返しのつかない過去に執着するのでもなく、「今、できること」に親も子ども本人もまっすぐ集中すること。それ以外に手はありませんし、逆に言えば、それさえ実践すれば、必ずや視界は明るくなってきます。
11年強の経験から、それは断言できます。

好ましくない、ダサい、ひどい、真っ黒な現実を変えたいなら、リアルな行動を積み重ねていくしかありません。善い原因を淡々と積み上げて、善い結果を招き寄せること。健全な因果関係を構築することです。

いつも同じことを言いますけれども、本当にそれしかないと思います。
で、もうひとつ言えば、不登校も高校中退も、「人生を投げ棄てる程の大きな問題じゃない」ってことを、個人的な実体験から僕は強く実感しています。


「合格体験記」を載せない理由

「息子が書いた合格体験記、絶対載せないでください!」
何年か前の、つまり大昔の話です。
僕の教室で勉強し、中央の法学部他に合格した生徒のお母さんから電話がかかってきて、彼女は切迫した声でそう言いました。
「なぜでしょう?」
その合格記は、彼が主体的に書いたものです。それをなぜ「載せないでください」なのか?
「言いにくいんですけど」
「ご遠慮なく」
だいたい言葉は予想できていたのですが、
「不登校のこどもが通う塾に通っていたということがバレたら、その、あの、いろいろ」
「恥だと?」
「まあ、いえ、その……そうです」
「……」
「先生」
「はい?」
「今度、生徒さんを紹介しますので!」
そのお母さんのことが好きだった。むろん、変な意味ではなく、人として好きだった。が、その言葉で僕は彼女のことが好きでなくなった。

実はこれに似たことを僕は11年の塾長生活の中で何度か経験している。
だから、ホームページに合格体験記を載せないのである。
合格体験記を載せるなら、それは絶対匿名であってはならない。なぜなら、リアリティーがないからだ。どこかのAくんやBちゃんが××高校を辞めて、不登校児のための学習塾でどの講師とどんなふうに勉強して、その結果、△△大学に受かったか。講師は西川なのか成瀬なのか土井なのか。すべてリアルな固有名詞があってこそ、その文章には生命が宿る。僕はそう考えるのだが、今のご時世、ウェブ空間に名前が残ることに敏感な、僕に言わせると敏感すぎる人は少なくないわけで、だから僕は上述のお母さんを責めなかったし、今も責める気は毛頭ない。「生徒を紹介しますので!」については、こころより軽蔑するけれども。

ま、そんなことがあって、うちのサイトには合格体験記が載っていません。双方、嫌な思いをしてまで、載せるようなもんじゃない、と。

昨夜、ある生徒のお母さんと電話で語らっていました。
そのとき、何の流れか、上で書いたような話になりました。
そのお母さんは話を受けて、一拍の間を置いてから、落ち着いた語調で言いました。
「息子が合格したら、絶対合格体験記を書かせます」
「……ありがとうございます」
「というか、書きたいはずです。だって本人にとって、それはすごく大切な記録なわけだから」
その言葉を聞いて思った。気づいた。
あの、合格体験記を載せないでと僕に切迫した口調で懇願したお母さんが傷つけた相手は、僕ではなく、講師でもなく、僕の教室にまつわる何かでもなく、誰あろう彼女自身の最愛の息子なのだということを。
彼女は我が子が大切にしている宝物のような体験を否定してしまったのだ、と。こどもの気持ちよりも、世間体や体裁というどーでもいいものを優先してしまぅたのだと。その罪は小さくないと僕は考える。
「私も読みたいです。息子の合格体験記」
電話の向こうのお母さんが言った。明るい声だった。