京都あすなろ教室

藤森 淳人

京都府立医科大学医学部医学科在籍・私立洛南高校(京都)出身

このたび京都あすなろ教室で講師をさせていただくことになりました藤森淳人(ふじもりあつと)と申します。

軽い自己紹介から始めます。
体を動かすことが好きで高校時代はテニス部に所属していました。高2の冬(受験のちょうど一年前)に医学部に進学することを決断し、現在京都府立医科大学で医学を学ぶことができています。
趣味はスポーツ観戦(野球、テニス、バスケなど)で阪神タイガースのファンです。
一年間京都の個別指導塾で働いていました。現在、大手予備校で模試の採点や答案の添削指導なども不定期でしています。

学校の勉強に対して、「こんなことやって何の意味があるんや」と考えてしまうことは多いと思いますし、僕もそう思ったことはあります。定期テストで点をとらないといけないから、という理由だけで勉強していた科目もあります。しかし、今考えてみると、文理問わずいろいろな勉強をするからこそ、中高生の皆さんには無限の可能性が広がっているんだな、と思います。
勉強の面白さというのは全員の興味が一つに集中しないところにあります。社会に興味を持ち経済学部や法学部に行く人もいれば、理科に興味を持ち工学部や理学部に行く人がいる。学年を重ねるにつれ徐々に進路を決めていくわけですが、悪い言い方をすれば「可能性を消す作業」が始まってしまいます。まずは「自分の持つ可能性の大きさ」を知ることが大切なことの一つです。将来やりたいことが決まっていない人たちはどうかその可能性を消していくのを最後の最後までためらってほしい、そのために勉強してほしい、と思っています。

ある学問を突き詰めようと決めると将来の可能性は狭まってしまうと話しましたが、同時にその学問自体に未知なる可能性が秘めていることを知ることができるでしょう。実世界にどう応用されているかも知ることができます。こうして一つ自分の興味のあることをとことん突き詰めるのは圧倒的に楽しいことです。そのためには基本を固めないといけませんが、それが中高時代の勉強です。だから中高時代の勉強は(ある意味)つらくて当然なのです。今はだるいなぁ、つらいなぁと思うことが多いと思いますが、それを乗り越えないといけません。「だるさ」「つらさ」の向こうに楽しさが広がっているのではないでしょうか。

受験を振り返ると、どうして自分があそこまで必死に勉強できたのだろうと思うことがあります。
今にして思うと、それは友達や家族、先生の助けがあったからだとわかります。
僕の通っていた学校では、知らない間に勉強しないといけない雰囲気をみんなで作り上げいました。つらい勉強も、みんなで(鼓舞しあって)乗りこえることができました。
僕は不登校の小中高生がつらさを乗り越えていく手助けをこの京都あすなろ教室でしたいと思っています。

定期テストで点がとりたいから、入試に必要だから、という理由だけで勉強していた科目もありますが、今思うと意味のある勉強だったんだな、と感じます。普段生活を送っていると、自分たちの気づかないところで数学的な論理の組み立てが生かされたり、国語的な言葉に対する感性が必要とされる場面は思わぬところで登場します。
今は意味もないと思う科目をどうしてかはわからないけどテストのためにひたすら勉強する――それでも良いと思うのです。後になってあの時勉強していてよかったなと思える日が一度でもきたらそれは最高の形です。

人は誰しも悩みや不安やコンプレックスを抱えており、それらを独りだけで乗り越えようとせず、頼り合い助け合いながら僕たちは生きています。つらいことや嫌なことも自分だけで消化しようとせず、打ち明ける仲間がいた方が気が楽になります。
勉強のことだけでなく日常で起こった些細なことも気軽に話せるような存在になりたいとも思っています。

藤森淳人


jun

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