京都あすなろ教室

不登校児の親御さんへ

不登校児のための学習塾を立ち上げて十年が経過しました。
月並みな物言いになりますが、いろんなことがありました。いろんなこどもと出会いました。必然的に、彼・彼女の両親ともいろんな対話を続けてきました。

不登校に陥ると、本人がまず苦しむことになる。それは自明です。
なぜ、苦しむか?
将来が見えなくなるから。自己を承認する機会が激減するから。家族および世間の目が厳しくなるから。自己嫌悪や罪悪感が発生して、それに囚われてしまうから。他にもいろんな理由で苦しむことになります。
でも、私に言わせると、「不登校でいちばん苦しむのは親御さん」です。
不登校の問題は当人の問題であると同時に親の問題でもある。
当たり前といえば当たり前のことを私は言っているわけですが、押さえておきたいポイントです。
そして、不登校児本人よりも親御さんが苦しんでいるケースがたくさん在る。これも私がこの十年で実感した「私的な事実」です。

こどもが不登校をはじめて、それが「長期化」の気配を見せはじめると、親御さんは焦りだします。
まず、各種カウンセラーや心療内科の医師、臨床心理士らに救いを求めます。関連書を読み漁ったり、勉強会に参加するなどして熱心に研究するお母さんも多いです。
が、専門家の多くは、「【がんばれ】は禁句です」とか「見守りましょう」とか、ふわふわっとしたことを言うだけで、リアルな戦略と戦術を伝授してくれない。不登校は永続化し、いっこうに先が見えない。学校の先生と話してもイマイチ手応えがなく、家族や親友にも相談しにくかったり……。そんな、まさに「八方塞がり」というべき状態で親御さんはうちにやって来ます。
「なんで、うちは最後やねん」と苦笑まじりに思いつつ、私はあまたの親御さんと向き合ってきました。

「がんばれ」は決して禁句ではありません。ふつーに使っていい言葉です。だって、頑張っていないこどもに「がんばれ」って言うのはふつーでしょう?
無論、追い詰めるような、こどものこころを圧迫するような「がんばれ」は駄目です。でも、ふつーの「がんばれ」は日本語として自然です。
そもそも禁句なんてないです。言いたいことを言っていい。言ってみて、自分の誤りに気づけば、訂正して謝る。それがふつーではないでしょうか?
こどもにビクビクして、言葉を選んでいるうちに何も言えなくなってしまい、事態は悪化する一方。不登校をしながらも家庭内で「君臨」する不登校児と物言えぬ親……そういう悪夢のような、いびつな関係性を私は何度も――本当に何件も――この目で見てきました。

「見守りましょう」と言うけれども、いつまで見守ればいいのか。どう見守ればいいのか。見守った果てには何が起こり得るのか。
そういったリアルを説明した上での「見守りましょう」なら、いいです。が、そこまで明確に道を指し示すことのできる専門家はマイノリティーです。

私は常々こう考えています。
見守るより、まず動こうよ、と。本人が動けなくなってしまっているなら、なおさら親が動きましょうよ、と。
動かないと景色は微塵も変わりません。いや、精確に言えば、景色は暗くなる一方であることが多いです。
1センチ動けば、1センチ分の景色が変わる。
まず、親が動く。そして選択肢を用意して、こどもにそれを提示して、説明する。
京都あすなろ教室もその選択肢に加えてください。
そしていろんな対話をしましょう。もしかすると、うちで「突破口」が見つかるかも知れません。そうでない場合も、選択肢が一個消えるだけです。
ご連絡をお待ちしています。
私は不登校児の味方にはもちろん、その親御さんの味方になりたいと切望しています。

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