京都あすなろ教室

上田 康平

京都産業大学現代社会学部現代社会学科在籍・大阪府立枚方高校中退


みなさんはじめまして。今年度より京都あすなろ教室の講師を担当することになりました。上田康平と申します。
私は今年の1月まで、この京都あすなろ教室の生徒として、大学受験に臨んでいました。
そして、4月からは京都産業大学の現代社会学部という場所で、学業に励んでいます。
今でこそ「よくいる平凡な大学生」みたいになっていますが、それまでの人生を人と比べると、実はかなりの遠回りをして来ています。なぜそのような遠回りをすることになったのか。その道のりについて過去を振り返りつつ、現在に至るまでを述べていこうと思います。

私は、高校1年生の10月に不登校になりました。直接的な原因は過敏性腸症候群(IBS)という病気です。その病気は周りの環境から加えられるストレスやプレッシャーに対して腸が過敏に反応し、腹痛や下痢などの症状を引き起こすと言うものです。この病気によって引き起こされる腹痛に私はしばらくの間悩んでいました。そして、特に腹痛が引き起こされやすい環境があります。それは、授業中や電車内などの自分の意思でトイレに行けない(行きにくい)環境です。そういった環境下では、トイレに行けない不安がプレッシャーやストレスへ変わり、さらにはそれらマイナスの感情が腹痛という身体的な痛みへと変化し、私を毎日を襲うのでした。
そういった苦しい日々を過ごしていく中で、私の精神は気付かぬうちに徐々にすり減っていきました。そしてある朝、いつものように家を出ようとすると、自らの意志で足が動かないことに気が付きました。それに気づいたのと同時に大量の涙が溢れてきました。そう、自分でも気が付かないうちに私の心はとっくに限界を超えてしまっていました。
恐らく私の意志とは反対に私の体は学校に行くのを拒絶していたのでしょう。休んでいる間には、明日こそ学校へ行こう。そう決心しても頭の中では学校に行く=腹痛が起こり、苦しい思いをするという脅迫的なマインドがこびりついて離れず、何度も挫折しました。
そうして高校1年生の10月に不登校になった私は、そこから期間にして約2年と半年、高校生としての時間が終わる3年の冬頃まで家に引きこもり続けました。
家に引きこもっている間はただただ一日中ゲームをしたりやYouTubeを観る生活を送っていました。そういったことをしている間は、親に常に迷惑を掛けてしまっているんじゃないかと感じることから生まれる罪悪感や、今こうしている間にもかつての同級生は先に向かって進んでおり、今の自分は同級生に比べかなりの遅れをとってしまっているということから感じる焦燥感などから目を背けることが出来ました。
しかしながら当然、積りに積もった自分への嫌気からはいくらゲームをしても目を背けることは出来なくなります。次第にゲームに対する面白さも0になり、嫌気もピークに達して、自分でもどうしたら良いの分からなくなっていた頃、偶然にも母から京都あすなろ教室を紹介されました。
どうせ(あすなろに)入っても高校生の時と同じ事を繰り返すだけになるだろうという後ろ向きな気持ち。この現状は絶対に変えなければいけないという前向きな気持ち。この二つの相反する気持ちの狭間で揺れ動いていました。
ただ、私にとっての一番の懸念材料である腹痛というものに対して、
「あすなろ教室は何度トイレに行っても気に留める人なんて居ないし、先生方もそうした腹痛についてよく理解してくださっている。だから安心して一度行ってみればいい」
という言葉を母からかけて貰ったのをきっかけに、それなら悩む必要も無いということで1度行ってみることに決めました。
行ってみると実際にその言葉通りで、私にとっては腹痛に気を留める必要のない居心地の良い空間でした。
私はあすなろ教室に通うことになりました。当初は腹痛の心配をしていた私も時が経つにつれ、そういった心配も消えていき、最後の数ヶ月には完全に消えて無くなっていました。
しかし、腹痛への心配が無くなったとはいえ、現実から目を逸らしていた約2年分のディスアドバンテージがあるのは事実であり、数々の壁にぶつかり、何度も心が折れそうなりました。
が、私は決して折れないようにすると決めていました。なぜなら、教わっていた山本源大先生に、授業の間に言っていただいた、
「どんなにつらくても低空飛行でいいから毎日飛び続けよう。そしたら4月にはどこかしらには必ず行き着いて笑顔で終われるから。」
という言葉を信じていたからです。
なので、どれだけ辛い日があっても最低1日10分はやると決めていました。
そうして私は最後に京都産業大学にたどり着きました。
試験が終わった後、1番に出てきた感情は「やっと終わった」という解放感でした。しかし、次に出てきた感情は「もっとやれたんじゃないのか」だとか、「見積もりが甘すぎたな」だとかのたくさんの自分への後悔でした。
しかし、それらの感情が払拭される出来事が起こります。それは私の受験終了を聞きつけた幼なじみがお祝いに私の家にやって来てくれたことです。そして、その時幼なじみは私にこう言いました。
「俺はお前がこのまま一生引きこもって家から出てこないんじゃないかととても心配に思っていた。本当に頑張ったな。良かった。本当に大学受かってくれて良かった。」
旧友の言葉を聞いて私は、諦めないでやってきたことには本物の意味があったんだなと心の底から思うことが出来ました。

ここまでが私の辿った道です。
冒頭で「遠回り」というネガティブな言い回しを使いましたが、実際にはこの「遠回り」のおかげで、私はこの先の未来に対してボジティブに希望を持って進むことが出来ています。
それはやはり、2年半前に私がこの教室に入る選択をしたからです。
もしも私があの時、この教室に入らないという選択をしていたら、と今でもふと想像します。それでも今幸せであっただろうという確信は持てません。もちろん、「選ばなかった道」についてとやかく言っても詮無い話なのですが……。
私は今、事実として、幸せな人生を送っています。自分の選択(あすなろで頑張るという決断)は正しかったなと心底から思えています。過去の自分を褒めてやりたいです。
しかしおそらく、今これを読んでいる方の中にはかつての私と同じように、自らの将来に希望を見いだしにくい人がいると思います。ただ、私に希望を持つことが出来て、皆さんに持つことが出来ない道理は絶対にないはずです。何もかもを諦めて現実からただ逃げていた私にさえ出来たのだから、皆さんにも必ず出来ます。
何事も遅いだなんてことはありません。後方からのスタートでも追いつけます。なので、今からでも前を向いて、また一歩二歩と歩み始めませんか。そうしたら、しばらく経つと、必ずどこかにたどり着くはずです。そこが果たしてあなた が本当にたどり着きたかった場所なのかどうなのかは今の私には分かりません。
でも、どこにたどり着いたにしろ、そのたどり着いた場所で自分の歩んできた道はどうであったかを振り返ってみてください。そしたら確信を持って気づくはずです。あの時の勇気を出して踏み出した一歩こそが、自分の新たな人生を踏み出すための一歩だったんだなと。
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